井戸端会議と社会に生きる

井戸端会議と社会に生きる

By 木梨銀士

今回のUPCYCLE RESEARCH JOURNALは、本ジャーナルの執筆を担当しているメンバー、なつ子が個人的に興味を持っていることについてです:

「井戸端会議と社会に生きる」

私は井戸端会議をしたことがありません。

生活に不可欠である水を求め、井戸に出向き、結果的にご近所さんと集まり、自分以外の誰かと洗濯をしたり水汲みをする。必然的に他者と関わり、おしゃべりをする。都心に住む今の私の生活では考えられない生活です。自宅に水道があって、洗濯機があって、勝手に洗濯物を洗い上げています。

井戸端会議はしたことがありませんが、私にとっての井戸端会議は、友達とカフェや公園で集まり、おしゃべりをすることです。一緒にお絵描きをするなどといった共通の目的を持ち、集まることは更に、井戸端会議してるー!と感じます。

こういった集まりと、本来の井戸端会議との最も大きな違いは、私と私の仲間は自主的・能動的に集まっているということです。徒歩圏内に住む友達はほとんどいないため、誰かと会うことは常に連絡と待ち合わせを必要とします。

それに対して井戸端会議は、自主性は必要としておらず、自然に発生している集まりです。生活に必要な水を共同井戸に確保しに出向いたら、結果的におしゃべりをしている。家庭内や学校・職場以外の環境に、他者と日常的に関わり、色々な話をして、関係を紡ぎ、結果的に助け合うことのできるコミュニティに属すること。そんな生活を送ったことがないからこそ、憧れを抱いてしまっています。私はそんな「自然発生する井戸端会議」が理想の社会です。

きっと現実はそう甘くなく、ありもしない噂を流されたり、話が二転三転していく危うさもあるのだと思います。コミュニティにいれば足並みを揃えることの無言の圧力を感じたり、時間と共にその場にいることがストレスになることも重々あり得ます。そういった場に行かずとも暮らしていける現代社会は、とても自由だと感じます。各々が、各々の選択を取ることができて、各々の生活リズムで暮らせるのはとても便利で生きやすいですが、同時に孤立化が進む現代社会に寂しさを感じます。寂しさを感じつつも、自分だけの世界に閉じこもることの心地よさを覚え、他者と関わることに消極的になってしまっていることに気づきました。

都心に住んでいるということもあり、ご近所さんと密接に関わる、井戸のような共同スペースがなく、生活リズムも何もかもが違うため、「自然発生する井戸端会議」的な場所がありません。地域との繋がりは「人」よりも、カフェや公園などの「場所」としてしか、感じられていません。掲示板に貼られているポスターなどを見ると、地域のイベントが開催されていることを知りますが、参加するかどうかは能動的な選択であり、いつでも私には選択肢があります。

自然発生する井戸端会議を現代社会で実現させることは難しいかもしれませんが、共通の目的や目標を持つ仲間と能動的に集まり、おしゃべりをしたり一緒に物作りを続けることが現代版井戸端会議的社会を作る方法なのだと思います。

KINASHI UPCYCLEを通して、物作りの現場を見学させていただいたり、イベントや勉強会を開催してくれている人たちがたくさんいることを学びました。そういったイベントに積極的に参加し、いずれは開催する側になることで、私が理想とする「クリエイティブな井戸端会議的社会」に近づいて行きたいと思っています。

皆さんはどのようにして「井戸端会議的時間」を過ごしていますか?

 

words by NATSUKO KINASHI

photograph by レナちゃん